甘えた〇〇っていうけど、そもそも読み合いなんだから、甘えもクソもないでしょ
※この記事にはうまくまとめられていないところもあると思います。なので文章的に肯定できない可能性がある事をご理解ください。
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「甘えた着地に〜」とか「甘えたその場上がりに〜」とか
っていう文言がそこそこ流布してると思うけど、この表現って、ちょっと危ないと思っている。
例えば、スマブラを始めて3ヶ月がたったスマブラ初級者Aくん。
なかなかVIPに入れなくて悩んでいます。
Aくんは、上位勢の人と一緒に対戦しながら教えてもらえる機会を得ることができました。
そしてその対戦で、
「キミねぇ、甘えた着地が多いよ」とか
「キミその場上がりが多いけど、その場上がりは甘えだよ」
と言われたとする。
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確かにいつも暴れ着地をしたり、回避をしないで着地する事を「甘えた着地」と表現することが多いが、(確かに、回避をしたらその回避中は無敵なので、攻撃が当たらず、少なくとも延命は1秒くらいできるかも知れない)
しかし、結局は
『相手が「いつ」「どこに」「なんの」攻撃を置くか』
でしかない。
回避で着地しても着地にスマッシュなどを置かれたら被弾する。
形として甘えたという形にはなるが、結果論でしかないのもまた真実
そして僕は、この「甘えた〇〇」という表現を使うことは危ないことだと思っている。
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Aくんの話に戻すが、「甘えた暴れ着地」という言葉がAくんの頭に刷り込まれた。
それによって、「なんで暴れ着地がダメなの?通る時だってあるよ!」というふうに反発しんを抱く。
また、Aくんはまだ初級者なので、言われたことの意味がそもそも頭でスッと理解ができていない。
「暴れ着地」と言われても、どのシチュエーションのことかはっきりわからなかったりする。
理解できない人もいるかも知れないが、「言葉で説明されてもそれを頭の中でのイメージに完全に変換することは難しい」人も多いのだ。僕もそうだった。言語化が苦手だという人がこれに当てはまる。
こうなるとAくんは、「自分のプレイってダメなんだ」「よくわかんない!」「どうしたらいいんだ?」と混乱を招いてしまい、スマブラをやることが嫌いになってしまう可能性を孕んでいる。
自分のプレイを頭ごなしに否定された。自分がやりたい操作をすることが、「ゲームを楽しむ大前提」のはずなのに。
結構ありがちなことだが、「アドバイスを求められた方が、説明したがりになって相手に伝わっているかどうかに気を配れず、自分が喋ることが目的になってペラペラ喋って勝手に満足する」ということも危ない。
これは「自分は教えるのが得意だ」と思っている人ほど、陥りやすい。
教える相手は常に変わっている。言葉で説明した時に、言葉を列挙すれば理解してくれる人相手なら理解できても、そうじゃない人もいる。もっとスピードを変えれば理解できる人もいるし、ゲーム内で動かしながらの説明の方がいい場合もある。
相手によって教え方を変えないといけないはずだ。
僕が最も伝えたいことは
「やっちゃダメな行動は一つもない。キミは何をしても良い。自分が思うがままにキャラを動かせ。誰に批判されようとも、それはただの結果論。行動にダメ出しをされたら無視しろ。大切なのは「その相手の行動に対して、どういう選択をしたら回避できるのか」という「択の整理」でしかない。」
例えば、自分が崖を捕まっている時、フォックスが永遠に崖近くで小ジャンプ空N急降下を繰り返すものとする。
そうすると、1、ジャンプ上がり 2、その場上がり 3、攻撃上がり、の三つを狩れる可能性が高い(もちろんタイミングが一定なら着地のタイミングに攻撃上がりを合わせられるし、自分の使用キャラの大きさ、攻撃上がりの攻撃判定などによって違う)
しかし、「回避上がり」ならどうだろう。相手は永遠にその行動をしているのだから、回避上がりなんて狩ろうとするつもりがない。
ならばこの時「小ジャンプ空N急降下を永遠に続けるフォックス」に対しての解答は「回避上がり」ということになる。
しかし、一方で、
相手の行動が「小ジャンプ空N急降下を最初はしているけどそれを途中で中断して回避上がりの位置に上スマを置く準備をする」に変化すると、「回避上がり」は失敗ということになる。
確かに、それぞれの択に「安全性」というものはもちろん存在はし、「セオリー」「常識」と言ったものは存在する。
崖上がりで言うと、確かに序盤はジャンプあがりを選択した方が期待値は高く、実際僕もそうすることが今までも多かった。
しかし、それはやはり「対戦相手による」が結論だと思う。
結局レベルが高くなれば、セオリー潰しをしてくるものだ。
梅原さんも著書「勝ちづける意思力」で言っている
新しいものを否定しないこと。そして、新しいものから素直に学ぶ姿勢を忘れないこと。
年齢を重ね、経験を積み、ある程度のポジションを手にすると、実際にそのふたつを心掛けるのがいかに難しいかが分かる。年齢や経験を重ねるほど、どうしても自分の都合で物事を考えようとしてしまう。以前はこうだった、これが常識だ、そんなことはあり得ない、などといった既成概念に縛られ、偏見や固定観念を捨てられない。
梅原 大吾. 勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 (小学館101新書) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2045-2049). 小学館. Kindle 版.
要するに「常識に囚われず、素直に学び続けるべきだ」と言う事だ。
また、梅原さんは、この本でこんな話をしている
(文中に出てくる「彼」とは、梅原さんが憧れていたTさんと言う雀士のこと。
梅原さんは一度、23歳でゲームの世界を離れ麻雀の道に進み、後にそのTさんに勝つまでに成長する。)
麻雀に学んだこと
本格的に打ち込むようになってから3年で麻雀のトップレベルに立てたのは、やはり強い人の打ち方を真似したからだと思う。
彼が牌をつもり、牌を切る。その動作をずっと見続けるのは、言ってみれば答え合わせのようなものだった。僕の考えが彼の考えと一緒なのか、違うのか。一手一手、確認することができた。
真剣に考えて見ていたので、捨牌の理由は分かった。自分が思った通りというときもあれば、そういう手もあったかと感心することもあった。たまに意図が見えないときは「あのとき、こういう理由であの牌を切ったんですか?」と聞いた。そして「そうだよ」という言葉を聞いて、自分の考えが正しかったことを確認した。
自分よりも上手い人の真似をしているうちに、その技がなんとか自分のものになる。真似した人と同じレベルになって初めて、自分なりの色を出せばいい
何かを身につけたいと思うのであれば、丁寧に、慎重に、基本を学ぶべきだ。下手なうちから独自の取り組み方をしたり、自由に伸び伸び練習したりすると、最終的に底の浅い仕上がりになってしまう。
少なくとも2年、あるいは3年、基礎を学ぶ必要がある。自分の我を通すことなく、セオリックなことを学ぶべきだと考えている。そうしてベースが身についたところで初めて、異なるやり方を模索すればいい。「こんなやり方はどうだろう」と試してみればいい。
梅原 大吾. 勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 (小学館101新書) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1196-1209). 小学館. Kindle 版.
ここで言う「基本を学ぶ」とは、「彼が牌をつもり、牌を切る、その動作を見続ける」そしてその時「真剣に考えて見ていた」と言う部分に相当する。
これをスマブラに置き換えると「上手い人の動画を見る」という事だと思う。
よって
「上手い人の動画を見て基礎を学び、そこから常識に囚われず、異なるやり方を模索する」
ということが、スマブラで強くなり、トッププレイヤーになるために必要なことだと結論付けられる。
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上記の梅原さんの書籍引用文には、こうも書いてあった
「下手なうちから独自の取り組み方をしたり、自由に伸び伸び練習したりすると、最終的に底の浅い仕上がりになってしまう。」
これは、「基礎が永遠に身につかない」と言うことではなく、単に「基礎が身に付くスピード」の話だと思う。
「最終的に」と言う表現を使って「底の浅い仕上がり」と書いてあるが、「最終」とはいつのことだろうか?
スマブラで言うと、「スマブラを金輪際やらなくなる時」?そんな時はなかなかこないだろう。
人は歳を取るので、確かにやらなくなる時は来るにはくるが、
しかし、スマブラをいつまでも続けるとしたら、「最終」がいつかなんてはっきりしないはずだ。
ならば「最終」を便宜上「満25歳の誕生日」と定義してみる。
そして、この話の通り、僕がスマブラの上達を目指して
- パターン①「下手なうちから独自の取り組み方をしたり、自由に伸び伸び練習」
- パターン②「上手い人の動画を見て基礎を学び、そこから常識に囚われず、異なるやり方を模索する」
と言う取り組み方をしたとすると、
25歳になった時に、おそらくはパターン②の取り組み方をした方が基礎が身についており、強くなっていると考えられる。
もちろん基礎を学んでからやった方がいいが、それは「いつまでも基礎が身につかない」と言う意味ではなく、「基礎が身につく速度が遅い」と言うことだと考える。
(ここでは、なかなかうまくならないことによってメンタルが不安定になることは考慮しない)
また、「変な癖がつく」と言う話題があるが、
特定の人としか対戦してないと、同じ行動をしていればうまく行くので、同じ行動をすることが「癖」になると言うことだと思う。
でも、いろんな人と対戦をしていけば、その「癖」になっていたことにリスクをつけられるようになって、その癖の度合いが緩んでいくと思う。
そして、例えば着地で暴れをしまくる人が、たくさん対戦をすることで、暴れを狩られる時と暴れを狩られないときをたくさん経験していくはず。
そのたくさんの経験によって、だんだんと偏りが自然となくなっていくのではないだろうか。
終わりに
最後になるが、僕のこれからのスマブラの取り組みについて話すと、
先ほど書いた
パターン②「上手い人の動画を見て基礎を学び、そこから常識に囚われず、異なるやり方を模索する」
と言う取り組み方をしていく。実際今は座学に専念している。
梅原さんのお墨付きの上達方法だ。
また、これはゲームに限ったことではないと言うことはお分かりかと思う。
僕は以前、オーケストラのトロンボーン奏者を目指していた。
京都市交響楽団首席奏者の岡本哲先生に指示していた。
その時も「基礎」という言葉を何度も何度も聞いたし自分も周りの人に語っていた。
やはり何事にも通じることなのだ。
では、ひたすらに頑張ります。
長い記事でしたが読んでくだり本当にありがとうございました。
ではまた。