本当に「負けたら楽しくない」のか

 

昨日のTwitterのタイムラインで負けることと楽しむ事に関する話を何度か目にしたので、書いてみました。

 

うめきさんがリツイートしてた将棋の羽生さんの話とうめきさん自身のツイートとか

 

tk3さんの質問箱に寄せられていた質問とその回答とか、

 

この辺りをもとに、考えてみました。

 

 

負けても楽しいという風に考えることはできる

僕はこう思います。というか、事実だと思います。 

 

例:負けるということは、自分にできていないことが見つかるということ

 

「まだ新しいやり方を模索できる余地があるんだ!」と考えたら、楽しくないか?

 

他のゲームでも、「このゲーム長いなー」と思うこともあれば、

「これでまだエンディングじゃないの?ストーリーのボリュームすごい!まだこのゲームを遊んでられる!」

「ああ、もうこのゲーム終わっちゃうのかー、やることなくなったなー」という風にやることがなくなってつまらなく感じてしまうことはないだろうか。

 

 

スマブラSPは「まだまだできることがたくさんあるゲーム」ということなので、それを受けて

 

「長いゲームだなー」と思うのか

 

「このゲームまだまだ遊べる!最高!」と思うのか

 

このように、考え方ひとつで受け止め方が180度変わるのである。

 

 

負ける、という話に戻そう。

 

負けるというのは、「自分が今できることを出し切っても、もう何もできることがないという状態だと定義する。」

 

しかし一方で「今できることだけではなくて、新しくできることを増やしたら勝てるのではないか」という風にも考えられる。

 

負けて楽しくない、という感情は「このゲームでできることは全てやったはずなのに勝てないんだから楽しくない」という考えから生まれるものであり、

 

負けても楽しめるのは「今回は負けたけど、まだやってない行動とかダメだったところとかに気づいたから、次は実践でそれをやろう!」という考え方だろう。

 

(ファイターの有利不利という話になってくると、また別であろう。僕はまだ有利不利を的確に分析できるほどゲームを理解できていないので、ここでは割愛する。)

 

「不利だとしても勝つ」という楽しみ方もあるだろう。いわゆる「縛りプレイ」に近い。

キングクルールだけを使ってウメブラ で優勝する。という縛りプレイも一つの楽しみ方だろう。

 

ということで、「負けてたら楽しくないのか?」というテーマで書きましたが、結論「負けてながらも楽しむ余地はいくらでもある」ということでした。

 

ボコボコにされることを面白がることだってできますよね?

 

終わりに

 

ちなみに僕は、最強になる術は

「ポジティブにもネガティブにもならずに、ひたすらスマブラをやり続ける事」

だと思っています。

 

楽しむことは必ずしも必要なくて、毎日楽しくないと思いながらスマブラをしていたとしても、確実に新しい行動を取り入れたり、スマブラについて考え続けてプレイし続けていれば、楽しいと思っていなくても強くなると思います。

 

ベストなのは、ポジティブにもネガティブにもならず淡々と考え続けることだと思います。

 

これは、僕自身が楽しんでいないとか、いつも悔しがっているとか、そういう話ではありません。

 

音楽の世界にも、「自分は音楽は好きではない。だけど楽器が吹ける才能があって、仕事になるからやっている。」という考え方を持っている方もいます。

(今も同じ考えかどうかはわかりませんが、元NHK交響楽団クラリネット奏者、現在昭和音楽大学特任教授武蔵野音楽大学非常勤講師の加藤明久さん。)

 

この記事を見て皆さんはどう考えられましたか?

 

皆さんの考えも是非聞かせてください。

 

ではまた。